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伊勢崎線特急「りょうもう」 東武200系電車 浅草駅

 浅草駅で出発を待っている伊勢崎線特急「りょうもう」です。







りょうもう 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

 りょうもう とは、東武鉄道が主に浅草駅 - 赤城駅間を東武スカイツリーライン・伊勢崎線・桐生線経由で運行する特別急行列車の愛称。

 日光線特急「スペーシア」に対して伊勢崎線特急「りょうもう」と呼称されることが多い。

 浅草駅から館林駅・太田駅・赤城駅・伊勢崎駅そして葛生駅間を、東武スカイツリーライン・伊勢崎線・桐生線および佐野線を経由して運行されている。

 東武本線系統の優等列車は戦前から存在し、東武日光線の開業直後から日光・鬼怒川方面への特急には展望車やデハ10系など優等車両が投入され、観光輸送目的の比重が大きい列車であったのに対し、1933年(昭和8年)より「無料急行」として一般車を使用して運転が開始された伊勢崎線・桐生線方面への速達列車は中島飛行機(現在の富士重工業)関連工場が多く所在した太田地区や織物産業が盛んな足利・桐生地区(両毛地区)への便を図ったものであった。

 戦後、東武本線では日光・鬼怒川方面でモハ5310形・クハ350形を充当した特急列車「華厳」「鬼怒」の運転を再開、折からの日本国有鉄道(国鉄)東北本線・日光線の準急行列車「日光」との競合関係により新型車両の新製投入が繰り返された。その都度型落ち(モハ5310形・クハ350形、5700系、1700系)が発生したため、その余剰車は東武日光線・鬼怒川線の有料急行列車として運行・増発されることとなった。1953年(昭和28年)10月には伊勢崎線にも急行料金が新設され、翌11月、有料急行「りょうもう」(当時は愛称なし)は東武宇都宮線有料急行「しもつけ」(当時は愛称なし、1953年8月より運転開始)に併結される形で日光線・鬼怒川線有料急行の間合い運用(早朝上り便と夜間下り便)として浅草駅 - 新桐生駅間で運転を開始した。その後、伊勢崎線有料急行は利用が好調で運行区間を新大間々駅に延長、愛称も「りょうもう」のほか「こうずけ」、「おりひめ」、「あかぎ」、「じょうもう」(1963年3月まで上毛電気鉄道中央前橋駅まで乗り入れ)、「からさわ」(佐野線方面)など複数使用され、国鉄優勢の宇都宮方面「しもつけ」が廃止されたのとは対照的に増発された(1967年時点の運行本数は7往復:赤城便5往復、伊勢崎便1往復、葛生便1往復)。また、本線全線での特急・急行・快速列車の増発などによる車両不足から、日光線特急の型落ち車だけではなく、当時の日光線特急専用車両であった1700系が運用に就くこともあった。

 1969年(昭和44年)9月には特急車両に準じた内装を備えた伊勢崎線有料急行専用車両1800系を新造し、列車愛称を「りょうもう」に統一し、全車座席指定席制とした。以後、東京 - 両毛地区間のメインルートとして定着し、増発および4両編成から6両編成への増結がなされた。

 1990年代には「東武のビジネス列車」としての位置付けが強化され、定期乗車券と急行券で乗車が可能な「ビジネスライナーりょうもう」が数本設定された(東武線の特急・急行全列車で定期乗車券での乗車が可能になった1997年に廃止)。1991年(平成3年)には日光線特急の100系「スペーシア」への置き換えが完了して余剰となった1720系「デラックスロマンスカー」の車体を更新した200系が就役し、1998年(平成10年)に250系が増備され、1800系との置き換えが完了し、翌1999年(平成11年)に現行の特急へと格上げされた。








東武200系電車 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋

 東武200系電車(とうぶ200けいでんしゃ)は、1991年(平成3年)2月1日より運用を開始した東武鉄道の電車。元々は急行用として登場し、特急への格上げにより、実質的に特急用となった。

 従来1800系電車によって運行されていた急行列車「りょうもう」は、運行開始以来赤城・伊勢崎方面と都心部を直結する通勤・観光列車として年々需要が増大し、東武においてもそれら需要に応えるべく運行本数増など輸送力増強が図られた。また、1984年(昭和59年)8月のダイヤ改正以降は速達需要への高まりからスピードアップも行われ、運行ダイヤ上の運転最高速度が105km/hに引き上げられた。

「りょうもう」を1800系で継続運用した場合、これ以上のスピードアップは同系列の性能上困難であり、また将来的に検討されていた「りょうもう」の特急列車格上げに関連して、接客設備面ならびに性能面において1800系を上回る新型車両が必要とされたことから、設計・製造されたものが200系である。1990年(平成2年)11月から1998年(平成10年)1月にかけて6両編成9本、計54両が東急車輛製造・アルナ工機において製造された。




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コメント

ch*r*y

No title
りょうもうって聞いたことがあります!
カッコイイね。

ナイスです☆
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Pochi12345

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ありがとうございます


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